久々の九州 J7W1震電図面
Posted by admin on 5月 24th, 2011
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Posted by admin on 5月 24th, 2011
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Posted by admin on 9月 14th, 2010
ヒストリーチャンネルによる、第二次大戦下の日本のジェット機開発ヒストリー。この中で、「震電」開発についても語られています。「震電」のジェット化構想も語られていますが、現存している資料では、その真偽も定かではありません。開発に携わった方たちからの証言からも断定できるものは見つかっていません。真実はまさに歴史の中に・・・。
This is a jet plane development history of Japan at The Pacific War end by History Channel. “Shinden” development is talked about in this. The truth is not certain in the existence materials though the plan of making to the jet of “Shinden” is talked either. The predicable one is not found from the records, testimonies of the people involved in development. The truth can be somewhere in the history.
この中で、震電の試作機がアメリカに保存されているというくだりがありますが、現実は、復元されておらず、ガーバー施設の倉庫でスクラップ状態のままです。
Secret of Imperial Japanese Future Jet Aircraft Projects – J9Y Kikka & J7W1 Shinden & J7W2 Jet
*動画引用:
ヒストリーチャンネル
YouTube
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Posted by admin on 8月 7th, 2010
第二次世界大戦(太平洋戦争)末期の1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分に日本の広島市に、次いで8月9日午前11時02分に長崎市に、アメリカ軍によって原子爆弾が投下された。これらの原子爆弾は、実戦で使われた世界最初の核兵器である。この二発の核兵器によって当時の広島市の人口35万人(推定)のうち約14万人が、長崎市では人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡したとされる。そしてこの核兵器による被爆の後遺症は現在でも続いている。この原子爆弾投下によって、日本は無条件降伏を受け入れ、忌まわしい戦争は終了したが、私たちはこの日を絶対に忘れてはならない。
長崎市への原子爆弾投下
During the final stages of World War II in 1945, the United States conducted two atomic bombings against the cities of Hiroshima and Nagasaki in Japan.
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Posted by admin on 7月 14th, 2010
(前回からの続き)
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【主脚、前脚】
脚はキャリアを買われ、工作部長の光井技師が受け持った。日本ではほとんど経験のない前輪式のうえ、機体後端にプロペラを装着するため、前脚、主脚ともどうしても長くなる。砂塵を巻き上げないよう、プロペラ先端と地面との間隙が二十五センチは必要だった。主脚は支点から一・八六五メートルという長いもので、オレオのストロークは十八センチ、主桁・後桁間へ内側へ引き込まれる。最初の試案では、同様に主脚の長い艦偵「彩雲」と同形式にし、互換性をもたせるよう計画されていたが、検討してみるとブレーキ能力が弱すぎ、やはり独自の脚が必要になった。
(右上と下の写真は、終戦後占領米軍の指示で復元された時の写真。左上の主脚と前脚及び機体画像(右上2番目)は、資料写真をもとに3D復元したもの。右下の図面(一部)は戦後書かれたもののようだ。
3D制作Tipsは以下を参照 主脚制作 前脚制作 3D震電復元Gallery)
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鶴の脚のように細い前脚は、支点から二・二五メートルとさらに長い。油圧系統の故障の際には、風圧で出せるよう、前方引き込み式にしたため、前輪の設置位置が後方に来て、強度や方向安定、地上でのバランスに懸念があったが、実験の結果、問題は出なかった。シミー(離着陸滑走時の首振り振動)防止ダンパーは、十八試陸上偵察機「景雲」(前輪式の空技廠設計機)と同じく、捕獲したダグラスA-20のものをコピーして用いた。光井技師は前脚の ロック装置などを苦心して構成し、強度上心配のないように作り上げたが、問題は長い脚柱の中剔り(なかぐり)にあった。細長い円柱状のクロームモリブデン 鋼を抉り抜くのは、九飛でなら可能だが、量産に入って下請けへまわす場合に困る。技術を持つ工場をさがすため、人手不足から清原技師が走りまわらねばなら なかった。
(次回へ続く)
次回は、燃料系統・防弾の設計について紹介します。
*図・写真/文章引用:
震電館
異端の空―太平洋戦争日本軍用機秘録 (文春文庫)
震電 3D復元Tips
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Posted by admin on 7月 4th, 2010
(前回からの続き)
【エンジン、プロペラ】
エンジンは三菱製ハ四三 – 四二型(ハ四三 – 四一型特。十七試局戦「閃電」用のハ四三 – 四一/MK9Dを改造)で、第一段は歯車式、第二段は流体継ぎ手を用いた無段階変速の過給機を備えていた。燃料は噴射ポンプによる吸入管内への噴射式なので、気化器式より優れた点が多かった。前翼機のエンジンは機体後端に付くから、エンジン直径の大小から来る空気抵抗の差を、通常形式の機ほど気にしなくてすむ。小直径・大出力をめざして無理をかさねた中島「誉」エンジンよりも、いくらか大きくとも確実に動く、入手可能な最強力のエンジンとして、ハ四三 – 四二を選んだわけである。しかし離陸時のブースト圧を、カタログでは可能なプラス五〇〇ミリまで上げるのは、危ないからやめてほしいとの申し出が三菱側からあった。十分な実用状態には、いまだ達していなかったのだ。
上の写真は、ガーバー施設にスクラップ状態で保管されている三菱製ハ四三 – 四二型エンジン(終戦直後に、占領米軍の命令で復元され、その後解体されてガーバー施設に移送されたもの)。
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エンジン架は、飛行中どんな角度でも、エンジンと減速筐とのあいだに相対的かたよりを出さないよう設計され、延長軸の焼き付き事故をなくすという特殊なもので、三本の主翼桁に取り付けられる。前翼機の構造をうまく生かした名アイディアであり、最大回転数にいたるまで振動が起きなかった。地上運転および飛行中の冷却補助のために付けられた冷却ファンは、吸入式ではなく、吸入空気の排出を敏速にする吸出式である。単排気管はロケット効果を狙うとともに、潤滑油とエンジンに対する冷却空気の導入を促進するのにも利用された。エンジン冷却用の空気吸入口は、風防直後から斜めに、胴体両側にエラのように出っ張っている。この形状と位置は実にたくみで、主翼と胴体の干渉抵抗を減ら す効果があった。さらにこの側面を細長くふくらませて、過給機冷却用の空気吸入口とした。推進式プロペラは、直径を増やさずに高空で大馬力を吸収するため、六枚羽根、直径三・四メートルに決められた。六翔で可変ピッチにするにはハミルトン式やラチエ式では機構的に難しく、住友金属のVDM式恒速プロペラを採用している。ピッチ変更には油圧を用い、フルフェザリングが可能。エンジンからの動力は減速比〇・四一二の減速筐と約七〇センチの延長軸をへて伝わる。トルクを消すには二重反転プロペラが好ましいが、機構の複雑化、重量の増大を恐れ、量産時の場合も考慮して使用しなかった。太いスピナーの直径は七〇センチ強。胴体の後部をしぼりこむわけにはいかないから、大型スピナーを付けてアウトラインを整え、気流をスムーズに流れやすくして、抵抗の増加を防ぐのが目的だった。
推進式プロペラの難点の一つが、機外脱出の搭乗員をはねてしまうことだ。昭和十九年五月、空技廠飛行実験部に転勤してまもなくの山本大尉は、廠内の会議で緊急時のプロペラの処置が問題になったとき、「戦爆連合の火網に突っ込む搭乗員の身になってほしい」と飛散・除去を強く要求した。「技術的に不可能」一点張りの推進器部の技術大尉との問答に、怒り心頭の山本大尉は、自分より先任の相手を殴ってしまい、飛行実験部の崎長中佐(前出。MXY6の操縦経験者)の仲裁でなんとか納まりを見た。大尉の一発はみごとに効いて、「空中応急脱出ニ際シ、プロペラヲ極メテ簡単カツ確実ニ離脱セシメ得ル如ク考慮ノコト」に決まった。
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減速筐の周囲の四本の取り付けボルト内に信管と炸薬を詰め、脱出時には爆発力でボルトを引きちぎって、ファンとプロペラを射出させるのが解決策だった。九飛での実験で、初めは射出距離を十五メートルにしたが、五〜六Gにも及ぶ反作用を考えて、約十メートル噴きとばすように変更した。ただし、一号機には装備されていない。エンジンについては、試作三〜七号機では過給機を変更して(左舷の過給機用空気吸入口は除去)公称出力を高めたハ四三 – 四三への換装を予定。さらに試作八号機以降は、流体接手を廃して潤滑油冷却器を小さくした、クラッチ結合による歯車式一段三速過給機付きのハ四三 – 四四(離昇出力二千百三〇馬力)の装備が計画されていた。プロペラも試作五号機からは、生産性に配慮して、ブレードの幅を七〇パーセント、面積を五〇パーセントずつ増した、同直径で幅広の四翔に換える計画だった。
次回は、主脚・前脚の特徴について紹介します。
*図・写真/文章引用:
震電館
異端の空―太平洋戦争日本軍用機秘録 (文春文庫)
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